
プロローグ:尾張八幡道院の誕生
1977年7月4日、少林寺拳法の本山山門衆であった故 山下秀明 先生によって、 前身となる 尾張八幡道院 が設立されました。
道院の創立当初から、 人を守る強さだけでなく、人としての成長を大切にする理念 が根付いていました。


若き日の山下秀明先生
山口西京道院の長田正紀先生との栗林公園での演武
技でめったに人を褒めることがない開祖から、
「まるで白衣殿(嵩山少林寺)の壁画を見ているようだ」
と言葉をいただそうです。
第1章:突然の別れと、訪れた絶望
山下秀明 先生は愛知柏原道院の前身の 尾張八幡道院 で、週7日、毎日道院で門下生の育成をされていました。
小学生だった私は月木組に所属し修練していましたが、少林寺拳法が上手くなって、強くなりたかった私が、
「学習塾をやめて香資を倍納めるので火金組にも入り、週4回修練したい!」と先生に相談した時 、
「子供のくせにごちゃごちゃ考えずに、やりたい様にやれ!そんなアホな事言うとる前に後輩の基礎練始めんかバカもん!」 と、
一発どつかれ背中を押してくださいました。
その日の修練後、母と3人で話した時、 「辞めたいと言う子はいるが、増やしたいと言ってきた子は初めて、少林寺拳法が大好きなんだな。 香資は今まで通り変わらずでいい、来たいだけ来い」 と、いつもは鋭く光る厳しい目を、潤ませて喜んでくれたお姿は今でも忘れられません。
結局私は、週5日、山下秀明先生のご指導を受けました。
「技でもなんでも一方向から見て凝り固まるから成長しない」
「言われてからやるな!認めて欲しければ、認められるように自分から努力しろ」
「努力は必ず報われないが、成功した物は死ぬ程努力をしている」
子供なのに、大人と変わらないことを話してくれた先生。
私が入院した時、自分の姿が隠れるほどの大きなフルーツのバスケットを持って、何度も見舞いに来てくれた先生。
とても熱く、とても勢いのある豪快な先生は、開祖を直接知らない私にとって 開祖という人を、先生を通じ身近に感じさせてくれる、まさに開祖のような方でした。風貌もちっちゃい開祖のようでしたし(笑)
1986年12月、 山下秀明 先生が急逝されます。
前日、納会の準備で先生と共に1日過ごし、 当日、朝から先生と一緒に修練していた矢先の出来事で、
当時小学6年生だった私は、さっきまで元気ないつも通りの先生が・・・ というその衝撃を胸に刻みました。
尾張八幡道院はこれからどうなるのか、少林寺拳法は続けられるのか、 分解していく 尾張八幡道院 の中で私は絶望していました。
第2章:繋いでくださった新たな道
山下から山下へ。師弟の絆という名の襷リレー
尾張八幡道院幹部であられた、山下政雄先生が道院を引き継ぎ、 1989年2月に 愛知柏原支部道場 と名称を改め、再出発。
のち、2007年4月に組織改革により、愛知柏原道院となります。
私達拳士の少林寺拳法の道を途絶えさせないよう、立ち上がってくださった事を本当に感謝しております。
私の幼少のころから指導してくださった、山下政雄先生の技術は素晴らしいもので、 先代の 山下秀明 先生に劣らないものでした。
夏季合宿や、冬季合宿、他道院への出稽古や、中京大学少林寺拳法部との交流、大学合宿参加など
私達門下生に色々な縁と絆、経験を与えてくださいました。
山下政雄先生の下で、私は幾度も全国大会に挑戦し、 少林寺拳法の技術と心を学びました。
山下政雄先生にとって1番の弟子が急逝されるなど、辛いことも、苦しいことも受け止め乗り越え、 先代の残した道院を守ってくださった山下政雄先生にも感謝しかありません。
第3章:理念「最強よりも、最高になろう」の誕生

2014年7月、山下政雄先生より私が道院長を引き継ぎます。
このとき、道院の理念を 「最強よりも、最高になろう」 に定めました。
愛知柏原道院は3つの事を大切にしています。
愛・縁・絆
人より強くなることより、人として最高に成長すること。
困っている人を助けられる優しさを育むこと。
己の強さを誇るのではなく、弱き人に手を差し伸べる心こそが、真の強さ。愛
人は一人では生きられない。出会いは全て、意味を持つ。縁
時に厳しく、時に優しくその積み重ねが、本物の信頼を生む。絆
炎より熱く、絶対零度でも凍らない心の持ち主に、最強じゃなくて最高がいいんだ!
これが現在の愛知柏原道院の核となる考えです。
第4章:想いを受け継いだ少女から始まる縁と絆

1977年に始まった尾張八幡道院から愛知柏原道院の物語。
山下秀明先生から始まった受け継がれた想いは、時代を越え、多くの拳士たちの成長を支えてきました。
道院の歴史の中で、一人の拳士が象徴的な存在となりました。
入谷穂乃花拳士。
彼女のひたむきな努力と仲間への思いやりは、 道院の仲間たちに影響を与え、 道院内外で 縁と絆の輪 を広げました。
入門した頃の穂乃花拳士は、先に入門したお兄ちゃんが大好きで、その背中に隠れた、
決して特別な才能にも体格にも恵まれた子ではありませんでした。
思うようにできないこともあり、悔し涙を流したこともありました。
それでも、
「もう少し頑張ってみよう」
「次はできるようになりたい」
そんな小さな積み重ねを続けてきました。
少林寺拳法は、誰かと比べるためのものではありません。
昨日の自分より、今日の自分が少し成長するための修行です。
穂乃花拳士は、その教えを素直に実践し続けました。
仲間と励まし合い、壁にぶつかりながらも前を向き、一歩ずつ成長していったのです。
そしてその努力は、
ついに全国大会出場という大きな舞台へと繋がりました。
もちろん、全国大会に出ることだけが目的ではありません。
本当に価値があるのは、
「できない」を「できる」に変えた経験。
「無理かもしれない」を「やってみよう」に変えた勇気。
穂乃花拳士の歩みは、愛知柏原道院が大切にしてきた
“人づくり”の成果そのものなのです。
彼女のひたむきな努力と仲間への思いやりは、 道院の仲間たちに影響を与え、 道院内外で 縁と絆の輪 を広げました。
愛茄拳士とのペアや、他道院との合同練習を通じて、 道院の枠を超えた友情が育まれ、
少林寺拳法の真髄である 「人と人をつなぐ武道」 が形になりました。
入谷穂乃花拳士から始まる少林寺拳法愛知柏原道院の縁と絆の広がりの記事はこちら
第5章:小さな拳士、みなと君の成長物語

愛知柏原道院の想いは、昭和から平成、令和へとつながり、今日も新しい物語が生まれ続けています。
愛知柏原道院の令和を彩るちびっこ拳士たち。
小さな拳士、みなと君 の成長もまた、 愛知柏原道院の歴史の一部です。
入門当初は緊張していた挨拶 仲間と打ち解け、技を覚え 黄色帯合格で自信をつけ
ちびっこチームの小さな先輩として仲間に元気と笑顔を与えます。 ひとりひとりの成長が、道院の歴史を豊かに彩っています。
みなと君は、
全国大会出場選手でもなければ、特別な才能を持った天才拳士でもありません。
どこにでもいる、元気いっぱいの普通の男の子です。
時には失敗し、時には悔しくて泣き、時には思うようにいかずに落ち込むこともあります。
修練中、疲れて寝ちゃったりするときもあります。
それでも、
諦めずに道院へ来て、仲間と一緒に修練し、少しずつ前に進む。
その姿こそが、愛知柏原道院が大切にしている成長の姿です。
東海大会へ向けて頑張った日々。
初めての大会で緊張した日。
うまくいかず悔しい思いをした日。
その一つひとつが、みなと君の未来を作っています。
少林寺拳法は、結果だけを追い求めるものではありません。
努力する過程を大切にし、仲間と支え合いながら成長していくことを学ぶものです。
みなと君は今、
まさにその真っ只中にいます。
この物語に結末はありません。
なぜなら、
みなと君の成長は、まだ始まったばかりだからです。
第6章:強さを育てる場所 ― 仲間と共に歩む日々

愛知柏原道院には、様々な子どもたちが集まります。
人前で話すのが苦手な子。
声を出すのが恥ずかしい子。
負けると悔しくて泣いてしまう子。
自分に自信が持てない子。
そんな子どもたちが、少しずつ成長していく場所です。
そんな子たちも、様々な経験を積み、一歩ずつ成長していきます。
合宿では、
仲間と寝食を共にしながら、仲間との絆を深めます。
大会では、
勝っても負けても全力を尽くすことを学びます。
他道院との交流では、
新しい出会いの大切さを知り、新たな絆を作ります。
しかし、本当に大切な学びは特別な日だけではありません。
修練前の挨拶。
仲間への声掛け。
後輩を気遣う姿。
悔し涙を流した友達を励ます言葉。
そうした日常の積み重ねの中にこそ、少林寺拳法の教えがあります。
愛知柏原道院が目指しているのは、強い拳士を育てることだけではありません。
人を思いやれる人。
困っている人に手を差し伸べられる人。
違いを認め合える人。
社会の中で必要とされる人。
そんな人を育てることです。
だからこの道院には、全国大会出場者もいれば、大会に出ない子もいます。
活発な子もいれば、おとなしい子もいます。
それでも全員が大切な仲間です。
愛知柏原道院は、技を磨く場所であると同時に、人として成長する場所なのです。
☟共に成長し続ける、近隣の大切な仲間たち☟
その他、愛知柏原道院を支えてくださる仲間たちのリンクはこちら
第7章:受け継がれるものは、「技」だけではなく「想い」

尾張八幡道院から続く50年という歳月の中で、
多くの拳士が巣立っていきました。
全国大会へ出場した拳士。
指導者となった拳士。
社会人となり、それぞれの人生を歩んでいる拳士。
それぞれ進む道は違っても、心のどこかに愛知柏原道院で過ごした時間が残っていてくれたら、それほど嬉しいことはありません。
少林寺拳法で学ぶ技は、時代とともに磨かれ、進化していきます。
しかし、どんな時代になっても変わらないものがあります。
人を思いやること。
感謝を忘れないこと。
困っている人に手を差し伸べること。
そして、人との出会いを大切にすること。
それは、1977年7月4日、山下秀明先生が尾張八幡道院を創設された日から、変わることなく受け継がれてきた想いです。
山下秀明先生から山下政雄先生へ。
山下政雄先生から私へ。
そして今は、子どもたち一人ひとりへ。
私が受け継いだものは、道院長という役職ではありません。
「この道院を、次の世代へ繋いでほしい。」
そんな先生方の想いだったのだと思います。
だから私もまた、子どもたちに伝えていきます。
最強じゃなくてもいいんだ、最高になろう!
愛を忘れず。
縁を大切にし。
絆を育みながら。
その想いが受け継がれる限り、愛知柏原道院の歴史はこれからも続いていきます。
エピローグ:50年前に灯された火を、未来へ
1977年7月4日。
一人の先生が、この地に小さな灯をともしました。
その灯は、時に大きく燃え上がり、時に消えそうになりながらも、
多くの人の手によって守られ、今日まで受け継がれてきました。
振り返れば、嬉しいことばかりではありませんでした。
突然の別れもありました。
涙を流した日もありました。
悔しさを抱えた日もありました。
それでも、そのたびに誰かが手を差し伸べ、
「この道院を守ろう。」
そう想い、歩み続けてくださいました。
だから今、私はここに立っています。
そして今、子どもたちの笑顔があります。
もし、山下秀明先生と山下政雄先生が、今の愛知柏原道院をご覧になったら、何と声を掛けてくださるでしょうか。
「あとは頼んだぞ。」
そう笑ってくださるような気がします。
その言葉を胸に、私はこれからも歩み続けます。
子どもたちの未来のために。
支えてくださる保護者の皆さまのために。
地域の皆さまのために。
そして、この道院を築き、守り、繋いでくださったすべての先生方への感謝を忘れることなく。
最強よりも、最高になろう!
1977年7月4日に始まった物語は、まだ終わりません。
今日もまた、新しい一人の拳士が、この物語の新しい一ページを書き始めています。
愛知柏原道院の歴史は、過去の記録ではありません。
出会った一人ひとりによって紡がれ、これからも未来へ続いていく物語です。
愛知柏原道院・道院長 丹下 央章
